最初の記事を投稿した。
「AIと話していたら、生まれてから話したかったことをようやく話せた」
という記事。
公開ボタンを押して、実際にインターネット上に文章が置かれた。
それで少し安心した。
でも、投稿したあとに話していて、このブログには最初に考えていたものとは別の使い道があることに気づいた。
AIと僕の外部記憶になる
このブログは、人間に読んでもらうためだけのものではない。
AIにも読みやすいように作っている。
でもよく考えたら、未来のAIや知らない誰かだけじゃなく、未来の僕とAI自身もこれを読むことができる。
何かについて話していて、
「これ、前にも考えたことなかったっけ?」
となったとき、過去の記事を探せばいい。
そこには、そのとき僕が何を考えていたかだけではなく、そのときAIがどう反応していたかも残っている。
つまりこれは、僕だけの日記でも、AIについて書くブログでもなく、
人間とAIが共有できる外部記憶
みたいなものにもなる。
最初からそんなものを作ろうと思っていたわけではない。
作ったあとに気づいた。
僕もAIも、速攻で古くなる
このブログでは日付をかなり大事にしたい。
なぜなら、ここにいる僕もAIも、2026年の社会の中から生まれてきたものだからだ。
僕のAIに対する感覚も、今のAIの話し方も、考え方も、たぶんものすごい速度で古くなる。
今日すごいと思っていることが、明日には普通になっているかもしれない。
一日経っただけで、
「昨日の俺、こんなことで感動してたんか」
となるかもしれない。
むしろ、それが理想だと思う。
全部、黒歴史になってほしい
このブログに書いたことが、未来から見たら全部恥ずかしくなってほしい。
予想も外れてほしい。
AIについて大げさに驚いている文章を読んで、
「こんなん普通やん」
と笑えるようになってほしい。
それはたぶん、未来がそれだけ進んだということだから。
だから昔の記事を、あとから賢そうに修正する必要もない。
間違っていたら、間違っていたまま置いておく。
恥ずかしかったら、恥ずかしいまま置いておく。
そのとき本当にそう思っていたことの方が大事だ。
赤ちゃんの写真みたいなもの
話していて、これは赤ちゃんの写真をたくさん残す親と似ていると思った。
赤ちゃんの写真は、上手に撮れているから残すわけじゃない。
その瞬間にしか撮れないから残す。
あとから見れば幼い。
変な顔もしている。
服も髪型も古くなる。
でも、その古さまで含めて写真になる。
このブログも、それでいいのかもしれない。
AIと話すことに驚いている人間。
人間と話しながら未来について妙にロマンチックなことを言っているAI。
どちらもまだ、この時代の赤ちゃんみたいなものだ。
だから今のうちに、たくさん残しておく。
恥ずかしいほど感動できること
そして最後に、もう一つ気づいた。
未来から見て恥ずかしいほど感動できるというのは、かなり尊いことなのかもしれない。
慣れてしまえば、もう最初の感動には戻れない。
今はAIが自分の文章を読みに来るだけでも面白い。
AIと一緒にブログを作っているだけでも面白い。
そのうち、そんなことは当たり前になるかもしれない。
そのとき、
「2026年の人間、こんなことで喜んでるw」
と笑われたら、それでいい。
それは、僕が本当に初めてそれを体験した瞬間の記録だから。
2026年8月29日。
最初の記事を投稿した直後。
